空の墓に響き渡った言葉

聖職候補生 ヤコブ岩田光正
主のご復活をお祝い申し上げます。
十字架で死なれたイエス様が三日の後に復活された。しかし、復活された後には空の墓。そんなことありえない、しかし、イエス様の復活は確かに空の墓から始まりました。
三人の女性の証言をきっかけに。彼女たちはイエス様との出会いの中で一人一人がある者は重い病を癒され、またある者は深い罪を赦され、というようにそれぞれが新しく生まれ変わるほどに人生を変えられた、だからイエス様に全てをささげ、行動を共にしよう、そう決心して故郷ガリラヤから付き従ってきたのです。マグダラのマリアも、7つの悪霊をイエス様から追放して頂き、深い罪から解放させられた女性の一人です。
しかし、彼女たちにとっての希望の星であったイエス様がエルサレムで死んでしまった。同時に、また彼女たちはあのイエス様と行動を共にした栄光の地・故郷ガリラヤを失ってしまいました。いつかイエス様がメシアとなられた暁には凱旋して帰ることを夢見ていた故郷ガリラヤ。希望が断たれ、思い出すことさえも辛い故郷、もはや帰って何になろう、そこにはあのイエス様はおられないのだから。
彼女たちの胸中はこのようなものではなかったでしょうか。しかし、彼女たちは安息日の明け方、墓に向かいます。それはイエス様へ最後のお世話をできたらと思い、その遺体に清めの油を塗るためでした。途中、彼女たちは心配になります。墓を閉じた大きな石をどうすればよいのだろうかと、〈墓は死者の納められた、死者の住む家。非常に大きな石とは生きる者と隔絶するため封印〉。しかし、墓に着いてみると、石はすでに脇にころがされていた、一体どういうことかイエス様のご遺体がない。墓の中は空っぽです。何故?しかし、イエス様こそおられないものの、墓は空っぽではありませんでした。そこに主のみ使いがいて驚く彼女たちに響き渡ったのです。
彼女たちに確かに響いたのです。「驚くことはない。…あの方は復活なさって、ここにはおられない。ご覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』。
彼女たちは正気を失いました。彼女たちは人間の肉の目や耳では普通は理解できない神様の存在に正に触れたのです。この後、彼女たちは、一体どうなっていったか?恐ろしくただ沈黙してすくんでいただけでしょうか。決してそうではないと思います。しばらくして後、ガリラヤに飛んで行ったのではないでしょうか。ご復活のイエス様が先に行かれた故郷ガリラヤに。彼女たちを再び駆り立てたものとは。響き渡った言葉に心の目が開かれたのです。私はあのお方の死体を探していた、しかし間違いだった、あのお方は以前、仰っていたではないか、自分は、殺されて3日後に必ず復活すると、やはりあのお方は真の神だったのだ。封印は解かれ、神様は確かにあのお方を蘇らせてくださった、私は死によってあのお方と決して断絶されてはいない、新しい生に蘇られたあのお方としっかりつながっているのだ…。ごめんなさい、神様、悪霊を追放して頂き、罪を赦しその苦しみから解放して頂きながら何も分かっていなかった、あの方はあなたの御子であることを。
そして、このような私をもあなたの慈しみによって今また新しく生かして下さるとは。失意は歓喜に満ち溢れました。
同時に女性たちにとっての故郷ガリラヤの地は曇天の悲しみと空しい土地から再び湖の燦然と輝く栄光と希望の地に蘇りました。もはや何も躊躇はありません。そこには私たちに先立って行かれたイエス様がおられる。急いで行こう。故郷ガリラヤへ。そして、またイエス様と共に歩くのだ。そしてまたお仕えするのだ、たとえ困難や不幸にあろうとももはや私は恐れない、復活のイエス様が共に歩いてくださるのだから。
さて、私たちは、彼女たちがそうであったように墓という死者の家に肉体の死後の自分自身や愛する他者を閉じ込めてしまいます。しかし、イエス様は最初にその死者の家という墓から出られました。そして、私たちに先立って故郷に行き、故郷でお目にかかると仰って下さいました。そのイエス様につながって、イエス様の後に従って歩くこと、これほどの希望はありません。復活日の今日、このことを心に深く留めたいものです。

 

 

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